先日、卒業した高校 「○太高校」 の会報が届きました。
中には 昨年 創立120周年の記念を迎えたことが書かれておりましたが、
ふと、目にしたのは 「名物先生の近況
恩師は今・・・」のコーナー
高校2年の時の担任の恩師である中○先生の姿。
年をとられて、一見してそれがあの中○先生とは解かりませんでした。
もう 御年73歳になられたのですね。
その中○先生が 「○太高校在職中、一番思い出に残っている事は?」 という、質問に
「
白線流し がきっかけの、マスコミに乱された卒業式での生徒の怒り。」と、 私達の卒業式の事をあげられた。
長い教師生活の中で、数多くの卒業式を経験されたと思います。
なのに、もう○○年前のたった1回の卒業式のことを覚えていらしたこと、嬉しく思います。
当時、創立90周年行事があった翌年か翌々年に、
「白線流し」 を題材にした歌を歌われた歌手の人がありレコードが発売された事をきっかけに、卒業式に マスコミが押しかけて マスコミの言うがままの卒業式にされました。
それに、怒った一人の生徒が壇上に上がり、抗議したのを先頭に卒業生皆が怒ったものでした。
今でも、「卒業式での思い出の歌は?」と訊かれると、
「巴城ヶ丘別離の歌」 と 答えます。
合崎橋で帽子の白線とセーラー服のネクタイを結んで川に流しながら、歌った曲です。
卒業のこのシーズンになるとつい、口ずさんでしまいます。
そういえば、あの時 壇上に上がった 同じクラスだった Y君 今 遠く九州宮崎の地で元気で過ごされているでしょうか?
今では、ごく僅かの人達しか連絡先を知りませんが、当時の同級だった皆は元気でやっているでしょうか?